始末のいいくらし。

日々の暮らしをていねいに、を目標に、日々の暮らしについてを書いていきます。

いるかもしれない、の落とし穴。

今日、この間から気になっていた棚の中を片づけました。

 

3段に分かれている棚には、CD-RやDVD-Rで焼いたものや、

写真、ゲームが入っていて、下の段はぐちゃぐちゃとモノが押し込められた状態でした。

 

とりあえず、ホコリだらけであろう棚を雑巾で拭くために、

モノを全て出しました。

 

すると、出るわ出るわ、「何これ?」っていうモノ。

 

何個あるの?っていうリモコンの数々、どこに使うの?っていう線類、

一番下の棚に至っては、FAXの感熱紙や、椅子や家具の下に敷くクッションシートまで入っている始末。

 

いつ買ったかもわからない上、あったことすら忘れていたので、処分。

あとは、ラベル類。

 

もう貼ってあるからいらないでしょ?と思うのですが、

大事に取ってあって驚きました。

 

それで、もうここ何年も日の目も浴びることもなかったので、処分。

 

ついでに横にある引き出しの1つも片づけたのですが、

子供が小さいときに撮った写真、ざっと100枚くらいと、

ミニカーの取れた部品の数々、ブロックで出来た万年カレンダー

壊れた自転車のメーター、何かの付属についていた金具類がごっそり、などなど。

 

全部捨てました。

 

今日片づけていて気がつきましたが、

うちのダンナは、いるかもしれないで買い物をする人です。

 

同じものが必ず2つ、出てきます、使いもしないのに。

 

全部捨てました。

 

モノは本当に必要になったときに、絶対使う数だけを買うべきです。