始末のいいくらし。

日々の暮らしをていねいに、を目標に、日々の暮らしについてを書いていきます。

今日いらないものは、明日もいらない。

この間、玄関を片づけたときに要らなくなった旧傘立て。

 

あまり大きいものではないので、きれいに拭いて、物入れに入れました。

 

でも、よく考えると、特にほかの用途もなく、おそらくこの先きっと使うこともないであろうこの傘立て。

 

子供に、「これ、使うことあるかな」と聞いてみたところ、予想どおり「いらんのんちゃう?」の答えが返ってきました。

 

それで、ここは潔く処分することにしました。

 

多分この先、何年もこの物入れに入れたまんまになることは、容易に想像できます。

 

ならば、要らないと思ったときこそ、処分の最良なタイミングなのです。

 

物入れからまた物を出すことができました。

これを機に、愛用の靴を処分。

月曜日に玄関の靴箱を片づけたときに、自分の履いている靴のかかとが気になりました。

 

物すごく削れている。

 

歩き方に問題があるからではありますが、それより何より、この靴を履き続けるのってどうなのと思いました。

 

整理したときには、ちょっと踏みとどまったんですが、やっぱり処分することに。

 

最近は別の靴を履いていることが多く、その靴は最近は出番が少なかったので、もう潮時だったのかもしれません。

 

また靴を入れるところが増えました。

玄関を大改造。

うちには、備え付けの靴箱があって、そこに家族全員の靴をしまい、そして靴箱の外に長い傘と折り畳み傘、縄跳び、外掃き用のほうき、ちりとり、自転車の空気入れを背の低い物干しを隅に置いて、そこに掛けて(つるして)しまっていました。

 

地震のときは、それが全部倒れて、玄関がぐちゃぐちゃになっていて、その頃からずっと片づけたいと思っていたのですが、いいアイデアが浮かばないのと、そこそこきちきちに入っている靴を片づけて、傘や空気入れの入れる場所を確保し、ほかのところに果たして靴をちゃんと入れることができるのか、自信がなかったのです。

 

でも、今日、やってみよう!という気になったので、靴箱の中身を全部出して、片づけることにしました。

 

取りあえず、履く靴、、履かない靴、履けない靴を分けて、履けない靴、履かない靴はどんどん処分。

 

棚を全部取り外し、1枚ずつきれいに雑巾で拭いていきました。

 

傘の長さ分の棚を外し、傘立て代わりのプラスチックかごを入れて、そこに傘を立てかけ、空気入れの下には新聞を敷き、今までほうきとちりとりを一緒にかけていたのですが、それを分けてちりとりは空気入れの向こう側へ、ほうきは靴箱の扉の内側に新しくつけたフックにかけ、縄跳びはまた別のフックにかけ収納。

 

そして、長靴を箱に入れて、横にしてしまっていたのを撤去して、そこには靴をしまい、長靴は天井に近い上の棚にしまい、今までと配置を変えて片づけました。

 

すると、入らないであろうと思っていた靴が、全部しまえました。

 

外にあったものを全て撤去し、低い物干しも取っ払い、角にたまったほこりを拭き取り(三和土は毎日拭いているのでキレイ)、終了。

 

端にかためていたとはいえ、それがなくなっただけで、見栄えが全然違います。

 

片づけてよかったなと心から思いました。

白いものは、白いものに保つ努力。

えり、そで汚れ、どうしていますか。

 

私は、セスキ炭酸ソーダを溶かしたものをスプレー容器に入れて、それを吹きかけて使っています。

 

それで、以前はスプレーを吹きかけるだけだったんですが、取れない汚れがどうしてもあって、それが蓄積されて、だんだん黒くなっていくので、それを回避するために、洗濯機に入れる前じゃなくて、洗濯を始める前(色物から洗っていくので、白い物はその後)にその作業をやって、よく擦り込むようにするようにしました。

 

本当は、ブラシで石けんをつけてこすったり、それ専用の洗剤を使ったり、いろんなやり方があると思うのですが、私なりにいろいろ試した上で、そのやり方が一番いいと思ったので、それを継続しています。

 

それをやるようになったら、あら不思議、白いままで保てます。

 

だんだん黒くなっているということも、今のところはありません。

 

朝の忙しいときの時間配分が少し変わってしまったので、これも慣れるまではなかなかペースがつかめませんが、白さを保つためにも続けていこうと思います。

モノを増やさないと決めたのなら。

忙しいせいか、無性に買い物をしたくなったり、何か物を買いたくなったりします。

 

それで、15年選手だった家族全員のシーツと布団カバーを一掃しました。

 

何となく古びた感じ、だといいんですが、それ以上に、ボアのシーツに至っては、ボアがボアでなくなっている状態(毛が寝たまま戻ってこない)で、布団カバーは、長い間使っていたこともあり、生地がすっかり薄くなって、布団自体の暖かさはあるものの、カバーはただただ寒いだけでした。

 

総入れ替えをしたことで、すっかり寝心地のいいものになり、家族も、そして私自身もとても満足しています。

 

とここで、今までとは違うところは、洗い替えを買わなくなったこと。

 

今までは、冬だと乾きも悪いし、と先回りして、何でも1枚余分に買っていました。

 

何なら、家族全員分。

 

それをやめて、今使う分だけを購入。

 

洗濯は、昔と違って、冬のシーツとはいえ、とても乾くのが早くなっており、お天気のいい日を狙って洗濯をすれば、何の問題もありません。

 

もういらないな、と思ったら手放すこと、そして、今使わないものは買わないことです。

 

布団は家族それぞれ1組にまとめたので、押入れの中もスッキリです。

やらないよりは、やったほうがまし。

今日は、扇風機を、2つあるうちの1つを片づけました。

 

一気に晩秋感が増してきて、こたつ布団まで出したのに、その横に扇風機っていうのもなんだと思い、リビングに出してあったものを片づけました。

 

でも、もう一つは、まだお風呂上がりに使いたいから出しています。

 

古くなったTシャツをウエス用に切ったり、家族の夏服をしまったり、今日やろうと思っていたことを取りあえず全部やりました。

 

目標達成です。

 

いつも思うんですが、やっぱり今日やろうと決めていたことは、今日やらないと駄目ですね。

 

このコロナ禍の中、本当に自分がどうなるか分からないし、それと、先送りにしたところで、どんどん面倒になって、やる気が起こらなくなるからです。

 

ちょっと前にも書きましたね。

 

やらないよりは、やったほうが大分ましだと思うので、私は必ずやります。

 

後回しにしないと決めたから。

 

やってみようかと思ったら、まずは体を動かして、取りあえずやってみましょう。

 

やってよかったと必ず思えるはずです。

 

毎日する意義。

今日、床を拭きながらふと思いました。

 

なぜ毎日掃除をするのか。

 

しかも、掃除機をかけて終わりではなく、わざわざほうきと雑巾を使って、手間をかけてやる意味が、そもそもあるのかと。

 

日々の掃除は、多分もともと面倒くさがりで、しかもだらしない性格なので、それを正すために毎日やっているのと、後でいいわと思ったら最後、それを免罪符にして、後でをずっと先延ばしにしてしまうことになりかねないから、毎日やっているのかなと思います。

 

本当はさぼりたい、でもそこをぐっとこらえて毎日やっている。

 

だけど、それより何より、きれいになった部屋で毎日を過ごすと、本当に快適で、何物にも代え難くて、それを知ってしまったから、毎日やる、というほうが正しいのかもしれません。

 

きれいに整えた部屋で一日を過ごすことほど、ぜいたくなものはないですからね。

 

もう掃除をしないなんて考えられないところまで来ています。

 

習慣ってすごいでしょう。

 

毎日少しずつする意味は、大いにあると思います。