「片づける」の優先順位。
DVDを入れていた棚を片づけたこと、ちょうどダンナが出張でいないときだったので、驚いていました。
それより、タメコミアンのダンナには、やっぱり「片づける」ということが理解できないようで、物を捨てず、処分することなく「整理する」ことばかりを考えているので、「処分する」なんて行為は、ダンナにはあり得ません。
私は、物を減らさない限りは「片づく」という状態には近づけないことを身をもって知ることができたので、死蔵品の数々をせっせこせっせこと時間をかけて処分してきましたが、「いつか使うときがくるだろう」「欲しくて買ったんだから」「何かほかのものとして使えるだろう」という感情をいつまでも捨てられないダンナは、そういう私がただの無駄遣い人間にしか見えないようです。
なので、いつも何かを処分すると、もやっとした感情が残ります。
それでも、もうこれ以上ものに振り回されるのは嫌なので、私は死蔵品を見つけては処分するを繰り返しています。
私は、何かを手放していくたびに、心の曇ったところが晴れていく感覚を知っているので、心の鏡が曇ったら、部屋を見直すことにしています。
そうするだけで、心の平穏が取り戻されるからです。
もう片づけるところはないのではないかというところに大分近づいてきているので、大荒れになることはありませんが、どうするか迷っていたものを思い切って手放してみるだけで、一つのわだかまりがまた一つ消えていくようで、見直すこともとても大切だとようやく気づきました。
処分するごとにタメコミアンダンナとの溝が広がっていくとしても、私は自分の汚ころの平穏のほうが大事です。
散らかっているごみ屋敷よりも、絶対片づいている部屋のほうが居心地がいいはず。
人のことより、やっぱり自分優先です。