始末のいいくらし。

日々の暮らしをていねいに、を目標に、日々の暮らしについてを書いていきます。

ない、なら、ない、で。

去年の冬頃に、私の周りのママ友で流行っていたある食器用洗剤があって、あまりにみんなが絶賛するので、試しに買って使っていました。

 

その後、何度か詰め替えも購入、しばらく使っていたのですが、その詰め替えも切れて、空になったまま数ヶ月。

 

もちろん、なくなってから何度も買える店に買い物に行くものの、毎度のことながら買うのを忘れ、そのうち忘れ去られたものになっていました。

 

その洗剤、確かに汚れはよく落ちるのですが、流してもなかなか洗剤が取れなくて、せっかちを絵に書いたような私にとってはイラッとすることもしばしば。

 

今日も、売っている店の前を通り、ちょうど切れていることを思い出しましたが、使うことをやめることにしました。

 

 

使うのをどうしようか迷っているものって、山のようにあります。

 

私の場合、洗剤だけに限らず、毎日使う食器拭きや台ふきんも、その中に入ります。

 

こんな気候で、自分の使い方も悪いからなのですが、黒いカビが食器拭きにも台ふきんにも生えていて、見つけるたびに処分しているので、少しずつ枚数が減ってきて、どうしたものか、と思っていた矢先、今日も買い物に行ったついでに、100円ショップのふきんを置いてあるところを見ていたのですが、数が減ってきているとはいえ、まだなくて困るところまで来ていないので、なくて困るところまで来てから考えることにしました。

 

自分にしては、踏みとどまったなぁと思います。

 

ない、なら、ない、で、不便な生活を楽しむこともアリだと思うし、ないことで時間がかかることもたくさんあるけれど、その中で生み出した工夫は、一生役立つので、今の私には、ないことのほうが、モノは減るし、スペースに空きはできるし、いうことはないかなぁとメリットを感じます。