始末のいいくらし。

日々の暮らしをていねいに、を目標に、日々の暮らしについてを書いていきます。

何のために片づけるかを考える。

最近は、ずいぶんとモノが減って、いろいろな意味で、身が削ぎ落とされたような気がします。

 

身軽になった、というべきでしょうか。

 

身軽になって、改めて、何のために片づけるのか、じっくり考えてみました。

 

私の場合は、子供のころから、いわゆるタメコミアンではありませんでした。

 

家が狭かったせいもあり、自分のスペースも限られていたので、そこを片づけるためには、一定のものだけしか置けなかった、というのもあるかもしれません。

 

これを置いたら、これを捨てる、ワン・イン・ワン・アウト、そのものの暮らしぶりでした。

 

実家自体は、父も母も、相当なタメコミアンで、もったいない精神のかけ違いそのものなので、ゴミ同然の空箱までが大切に置いてあったりして、家が狭いのに、本当に壁もないくらいモノであふれていました。

 

いつか片づけるように命じられて、ピアノの上にあったものを全部ごっそり捨てたら(集合住宅だったので、ゴミは365日捨てられたので)、とても怒られました。

 

でも、私自身は、不要なモノを捨てないと、片づけは始まらないと、その頃はもうとっくに気がついていました。

 

それで、自分の畳2畳分のスペースはとても片づいていたのですが(そこに勉強机も置いていました)、それでも、家族のものが部屋にも侵入していたので、いつも全部捨てたいなと思っていました。

 

それで、結婚して、実家を出て、ダンナも片づけられない人で、もう少し使える、もう少し使える、が合言葉のようで、そうこうしているうちに、あっという間にモノが増え、自分のものだけでも、と思って、せっせことモノを減らしていましたが、それでもうまく減らすことが出来ないで、今の家に引っ越して、住んで10年たってやっと、自分の満足のいくモノの状態になった感じです。

 

今でも実家に帰って、モノがあふれかえった状態をみると、吐きそうになるし、かといって、片づけを私がすると、また以前のように、ゴミ置き場からまたモノが戻ってきて、元の状態になっているような気がします。

 

なので、実家の片づけは、私は手をつけていません。

 

何のために片づけるのでしょう。

 

多分答えは、人それぞれ。

 

でも、私は、本当の意味で身軽になった、というか、いろんなものから解放されて、今の自分の暮らしぶりと、今の自分自身に満足しているんだと思います。

 

自分の今必要なものだけに囲まれている今の生活には、本当に満足しています。

 

自分自身の中身がいっぱいいっぱいだったのが、モノの容量が空いただけで、心まで解放されたというか。

 

家にいることが本当に好きになったし、無駄なものを買ったり、置いたりすることもなくなりました。

 

私が思う、片づけるという意味は、自分が満たされるためにあるんじゃないかな、と思います。