始末のいいくらし。

日々の暮らしをていねいに、を目標に、日々の暮らしについてを書いていきます。

なくてもいいや、と思えたら。

昨日、使おうと思ったら、料理用のバットの裏がさびさびで、洗ったところで取れそうにもないので、捨てることに。

 

もう20年以上使った代物なので、何の未練もなく、ただありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

以前の私と一味違うのは、ここですぐに代わりの物をと買わなくなったこと。

 

まだ残されたバットが2つあるので、それで何とか回していこうと思っています。

 

最近変わったなと思ったことといえば、小さなココットを家族分色違いで使っていて、その1つがついこの間割れてしまったのですが、いつもなら、血眼になって同じものでなくてはと買いに探していたのですが、今回は、別に揃いじゃなくてもと思えるようになり、それで100円ショップでちょうどいい大きさの物を1つ買ってきました。

 

ずっと前は、ブランドの食器ばかりにこだわり、心のどこかでは「何でもいいんじゃないの?」と思ってもいたのですが、どうにも変なこだわりがあって、それこそ割れたら、同じもの、同じものと、さっきも書いたとおり、血眼になって探していました。

 

でも、今は、そんなことはどうでもよくなりました。

 

これも片づけのおかげですかね。

 

罰に何でもいいやと思えるようになったので、割れたりすると、少しずつばらばらなものが増えてきました。

 

以前は、揃っているものだから、1つでも欠けて、もう手に入らなくなったら、ほかの4枚はどうもないのに、1枚のために全部のお皿を手放してしまうこともしょっちゅうでした。

 

今となっては、もったいなくて考えられないですね。

 

誰が見るわけでもなく、自分が納得さえしていれば、何だっていいんだなと、また一つグレードアップできました。

 

これって、とても気が楽です。